更新日 : 05/13/2008
 
   教育企画部 文化スポーツ振興課  課の新着情報 各課のページ 
 
国登録文化財
小河家住宅(おがわけじゅうたく)
 
 小河家住宅は、神戸電鉄の三木駅から、美嚢川に架かる福有橋を渡った、やや南側の中道沿いにあります。
明治時代後期に、小河秀太郎氏が別邸として建築したもので、敷地は南北に細長く、弓形に曲がる北面道路と南側の露地に面して広大な屋敷が広がっています。
 小河家住宅は別邸として小河秀太郎が建設しました。秀太郎は米穀商を生業とした太吉の次男として弘化4(1847) 年に生まれ、9才の時に石州(島根県)浜田藩士戸川家の養子になり、廃藩置県後三木市に帰り明石の豪商米沢長兵衛の教えを受けて実業家の道を歩みました。明治9(1876)年に酒造業を開始し、その後、三木銀行の創立に関与するなど金融業も営み、県会議員の任を受ける等、当地の有力な実業家でありました。
建設年代は不詳ですが、所有者の聞き取りから考えて、明治時代後期と考えられます。屋敷は、北面中央に「表門」を構え、表門から西側に「番人小屋」を配置し、北西隅から西面境界に沿って南北に、「納戸」及び「女中部屋」等の付属的な建物を構え、敷地の南半に主屋群を建てています。「主屋」はロの字型の平面計画として中央に中庭を設け、北側から東面にかけて主要室を配し、北西隅から西側にはユーティリティを集めて南面を「離れ」とする。南側の離れは、「裏門」の寄付脇から階段を挟んで、六畳和室、八畳和室の表門アプローチ2室続の部屋を構え、東に蔵前、「土蔵」を設けています。なお、敷地の周囲は約1m〜2mの高さに石垣を積み表門の東端から北面、東面、南面の裏門までを高塀で囲んでいます。
 主要室には上段の間が設ける等、明治時代の國包(現在、加古川市)建具工や大工の水準の高さを示す一品となっている。使用された技術は、見えがかりは全て和風で、見え隠れも小屋組を和小屋組にする等、伝統的な技術によって建設されています。
 明治時代となり金融業を初め、各種事業に成功した者が、近世主屋小屋組から続く当地の技術を屈指して全国から取寄せた銘木を惜しげなく使用し、自由に表現した建物で、再建が困難な貴重なものとなっています。
主屋
土 蔵番人小屋
 
 
国登録文化財
小河家庭園(おがわけていえん)
 
 完成年代は不明ですが、残された古写真などから、明治時代末期には庭園を含む邸宅の全体が完成していたものと考えられます。
 南北に細長い形状を持つ敷地は四周に石垣を巡らせ、その南半部に主屋を含む木造建築群、北半部に園池を中心とする主庭を配置しています。
 昭和4年(1929)に来訪した朝香宮鳩彦王(やすひこおう) のために浴室等が造作され、これに伴って主屋の東側の狭隘な空間に露地風の庭が整備されました。
 以上のように、近代播磨地方の実業家・政治家の住宅庭園として、小河氏庭園が持つ造園史上の意義は深く、同時代に属する類型の中でも、特に意匠又は構造面の特徴となる造形をよく遺していると考えられます。
主庭全景滝石組と築山(主庭内)

☆ 上記、文章、図中における名称については、歴史性に鑑み当時の呼称をそのまま使用しています。

Copyright(c)1996-. Miki city. All rights reserved.